1980年代からの認知症ケアの実践の組み替えについて、書こうとおもっていろいろと文献をあさってきた。短い時間でよい文献が見つかる。なるほどこんなことがあの時代に起こっていたのか、別の角度からみれば、そんなふうにも見えたのかと、今あらためて、まったく新しい出来事にであったかのように、新鮮に理解することができる。
自分の体験していた事実を、こんな背景があって、その政治的な背景のうえで、うごかされていたのですよって論理的に事実を示され納得する。納得はできるのだけれど、「で、それがどうしたっていうのですか?」という感覚が残る。それは何なのだろう?
2010年3月14日日曜日
2010年3月13日土曜日
「はたらきかけ」の変容の歴史(井口本の補助線で)
井口本(井口;2007)を補助線にして認知症者への「はたらきかけ」の変容の概要をつかむ。
1960年代から70年代
戦後の高度成長に伴う急激な社会変動があった。それとつながっているとされる老人の社会的孤立がおこる。それとつながっているとされる病気が増え、また高齢者の就労機会がなくなり、さらに社宅生活後の住宅をどうするかが問題となる。その言説の根拠の正否に関わらず、老人をめぐるできごとが社会問題として取り上げられるようになったとはいえる。
1980年代前半
在宅における寝たきり老人の問題、そしてそれを受け入れる福祉施設も在宅介護事業も不足していることから、介護負担を解消するために老人病院への社会的入院が増加していった。その背景には、1970年1月からはじまった70歳以上の老人医療費の公費負担制度による本人負担の無料化があると言明されることになった。老人病院の「はたらきかけ」に対して、マスメディアによる告発などが社会で取り上げられる。1983年に老人保健法が制定され、老人に対する医療を規制する性質と、あわせて病院と在宅の中間的位置にあって、リハビリテーションをという「はたらきかけ」をもつ老人保健施設が制度のしくみとして創設される。簡単にいえばこんな流れで示される。寝たきり老人が社会問題化し、その「はたらきかけ」としてリハビリテーションという方法が制度としてできあがった時代だったと肯定的にみる立場が多い。しかしこの時代におこった過程を丁寧に当時の言説から読み解き、
過剰な医療は悪という考え方が強調され、悪徳病院、悪徳医師という悪者が生み出された。
折しも1960年代から1970年代には、公害問題がおこり、環境問題が社会問題となった。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』や1975年4月に出版された有吉佐和子の『複合汚染』がベストセラーになっており、科学物質や合成洗剤などが生命に対して害であるという考え方や公害企業の責任が追求されるという構図と、過剰検査や過剰医療の害とそれを行う悪徳医師というイメージが容易に重なることになった可能性がある。
「寝たきり」−>「介護の必要性」+「介護力不在」=「老人病院の社会的入院=過剰検査過剰医療」−>マスメディアによる社会問題化ー>法制度の修正(老人保健法)による医療規制+新「はたらきかけ」のオープンショウ
1980年代後半(予防・リハビリと病因論)
公害運動、オイルショック
注
①オイルショック
1973年(昭和48年)第4次中東原油の供給停止によって起こった経済混乱
1960年代から70年代
戦後の高度成長に伴う急激な社会変動があった。それとつながっているとされる老人の社会的孤立がおこる。それとつながっているとされる病気が増え、また高齢者の就労機会がなくなり、さらに社宅生活後の住宅をどうするかが問題となる。その言説の根拠の正否に関わらず、老人をめぐるできごとが社会問題として取り上げられるようになったとはいえる。
1980年代前半
在宅における寝たきり老人の問題、そしてそれを受け入れる福祉施設も在宅介護事業も不足していることから、介護負担を解消するために老人病院への社会的入院が増加していった。その背景には、1970年1月からはじまった70歳以上の老人医療費の公費負担制度による本人負担の無料化があると言明されることになった。老人病院の「はたらきかけ」に対して、マスメディアによる告発などが社会で取り上げられる。1983年に老人保健法が制定され、老人に対する医療を規制する性質と、あわせて病院と在宅の中間的位置にあって、リハビリテーションをという「はたらきかけ」をもつ老人保健施設が制度のしくみとして創設される。簡単にいえばこんな流れで示される。寝たきり老人が社会問題化し、その「はたらきかけ」としてリハビリテーションという方法が制度としてできあがった時代だったと肯定的にみる立場が多い。しかしこの時代におこった過程を丁寧に当時の言説から読み解き、
過剰な医療は悪という考え方が強調され、悪徳病院、悪徳医師という悪者が生み出された。
折しも1960年代から1970年代には、公害問題がおこり、環境問題が社会問題となった。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』や1975年4月に出版された有吉佐和子の『複合汚染』がベストセラーになっており、科学物質や合成洗剤などが生命に対して害であるという考え方や公害企業の責任が追求されるという構図と、過剰検査や過剰医療の害とそれを行う悪徳医師というイメージが容易に重なることになった可能性がある。
「寝たきり」−>「介護の必要性」+「介護力不在」=「老人病院の社会的入院=過剰検査過剰医療」−>マスメディアによる社会問題化ー>法制度の修正(老人保健法)による医療規制+新「はたらきかけ」のオープンショウ
1980年代後半(予防・リハビリと病因論)
公害運動、オイルショック
注
①オイルショック
1973年(昭和48年)第4次中東原油の供給停止によって起こった経済混乱
唯の生と対話する
「唯の生」というちょっと変わった名前の本がある。著者は立岩真也。立命館大学院の教員だ。わたしはその文体と思考が好みだと、最近思うようになった。
それはどうでもよい話。
この本の第3章 有限であるから控えることについてーその時代に起こったこと は、1980年代の日本の医療と福祉のながれのなかで、起こっているなにかについて書いたものだ。わたしはこの論考と対話しながら、1980年代を起点にして認知症ケアの実践の組み替えがおこわれつつあることについて考える。
1,新しい認知症ケアと言われるが
認知症ケアは、1990年代後半から現在にかけて劇的な転換期にあるといわれる。(井口 2007:31,春日 2003,永田 2003)呆けや痴呆といわれてきた状態やその状態にあるひとと、周囲のひと(家族や近所のひとや医療や福祉の専門職のひと)が思い、はたきかけてきた類型が劇的に変化をしてきたということだ。しかし類型というからには、十把一絡げにしたものだから、異なるようなはたらきかけもあったはずだ。まずなにが劇的に変化をしたのかということを聞こう。
井口は、「はたらきかけ」という言葉を使い、呆けゆく者や寝たきりの人に対する周囲からの世話や対応などの行為を示す探索的な概念として定義し、「はたらきかけ」は「はたらきかけ」の相手をどういう人なのかと認識するかにも相互に規定されるという。たしかにそのようにもいえる。
1)「はたらきかけ」られる者とかける者の関係と条件から生まれること
しかしもう少し具体的考えてみると、もう少し複雑になることあきらかだ。
たとえば、1)医療/福祉の専門職と、認知症患者/利用者では、「はたらきかけ」は治療や生活支援によってよりよくなることを目標とすることになる。もう少し目標をひかえ目にして、よりよい状態になることによって、他の方との関係もよくなり、結果しごと量も減って、私が楽になるというようなこともあるだろう。
2)家族と認知症状態にある人で生活時間のほとんどを一緒に過ごしている条件では、「はたらきかけ」は、生活行為のほとんどすべてであり、生活歴史のすべてを含む関係のあり方を含む過去と今後どうなっていくのかという未来の両方に規定されながら、どのように医学的診断がされているのかとか、どのような援助やサービスを使っているのかなどのたくさんのことの折り合いのなかで、「はたらきかけ」は異なっていく。
この2つは両極端の条件だろうが、「はたらきかけ」と「はたらきかけを試みられる存在」の類型的知識は、規定できるであろうか。井口がイメージしているのは、1)に関してはいえるだろうが、2)に関しては、それほど単純ではない。
井口のいう「はたらきかけ」の変遷とは、1)の前提とした変遷であること、つまり医療保健福祉の政策言説から抽出される「はたらきかけ」であると述べてもいる。
しかし、そのような政策言説としての「はたらきかけ」は2)のような条件にとっても無関係とはいえないと言う。認知症を抱える人と家族の会によって開催された国際会議(2004)が開催され、痴呆という侮蔑的な意味をもつ言葉で構成された言葉が、識者によって検討されて、認知症という言葉が公用語となったことなどによって、マスメディアによって取り上げられることにより、話題にあがるようになったことをあげている。
しかし2)の条件では、それほど単純ではない。いろいろな家族があり、いろいろなひとがいる。マスメディアの言説を信じつつも、自分の感覚や価値観はそう簡単には変えられないのが、普通なことだから。
そしてまた1)の条件でも同じようなことがおこる。政策としての法律の改正や制度の改正は事実であったとしても、その言説がそのまま「はたらきかけ」の実践に反映されることがないことがある。何年もかけて次第に変わっていくこともあろうし、またいつのまにか忘れ去れていくということもある。
2)「はたらきかけ」がいつの間にか変化する
たとえば、過去には「認知症ケアにおいて混合処遇か専用棟処遇のどちらが優れているか」という論争もあった。★要文献 しかし現在はそのような論点からの議論はおこなわれない。なぜなら、たとえば老人保健施設では認知症専用棟をつくることで、認知症ケア加算を得られるような介護報酬のしくみができたからだ。大きな集団で認知症のひとに「はたらきかける」にはどちらのケア体制が優れているという関心・観点よりも、認知症ケア加算を取るか取らないかという経営的な関心・観点が先にたってしまうからだ。結果的には、制度やしくみによって、「はたらきかけ」の関心・観点もかわるということだろう。政策として認知症や認知症高齢者をどのような存在として規定するかによって、「はたらきかけ」が変わることもあるが、政策が具体化されるしくみ(報酬・加算・減算のルール)によっても「はたらきかけ」は変わるような相互規定的なところもある。
3)政策として「はたらきかけ」を変えるには
「はたらきかけは、こうあられねばならない」という政策言説は制度というしくみ(報酬ルール)の上で行われる。制度としてのしくみは、「はたらきかけ」に対して報酬を支払うことでなりたっている。良い質の「はたらきかけ」を制度のしくみの上でうごかそうとするのなら、質をどう判定するのかという担保がなければ、報酬をだせないしくみが基本にある。
例えば、介護保険制度では、その担保の方法には、基準を決めることと、それに対する加算と減算のふたつの方法をしくみに組み込んでいる。たとえば運営基準や職員配置基準などの数で評価する方法が、その担保方法の一つ。また特別な研修や国家資格などの付加価値のある過程を通過した者が一定数以上いるという加算による質の担保方法が二つ目。また基準数よりも多い・少ないという条件での減算によって質を担保する方法が三つ目。
どちらにしても、「はたらきかけ」の質を報酬でしばろうとする方法だ。実際には「はたらきかけ」の質をあげるための加算を得るために、加算以上の業務量(記録帳票の類、研修出張の類など)がふえるとなれば、その新しい「はたらきかけ」は行わないということもあろう。
報酬でしばるだけでは、良いはずという「はたらきかけ」が広がらないならば、基準に組み込む方法もある。すると研修にでかけなければならない職員が増え、ただでさえ足りない人手が、その研修①のために、もっと足りなくなる。良いという「はたらきかけ」を行うという名分によって、その「はたらきかけ」をおこなうチームは消耗していってしまう。
とりあえず、チームは消耗しながらも、新しい認知症ケアの方法というものをある特定の職員が研修してきたとしよう。しかしそれが本当に実践できているかどうかは、今のところなんともいえない。
注釈
①認知症介護実践者研修は、講義・演習6日、さらに職場実習2週間という日程が一般的。この実践者研修の上段には、さらに長期間にわたる実践リーダー研修がおこなわれる。(講義・演習8日+他施設実習2週間+職場実習4週間)(東京都の例)
さらに実践リーダー研修終了者でかつ、各県・市・事業所の長による推薦をうけた者によって、認知症介護研究・研修センター(東京・仙台・太布)で認知症介護指導者研修(講義演習25日間+職場研修4週間)が行われている。
その他、認知症対応型サービス事業管理者研修(講義・演習2日間+他施設実習1日)や、認知症対応型サービス事業開設者研修(講義・演習2日間+他施設実習1日)が行われている。
文献
春日キスヨ 2003 「高齢者介護倫理のパラダイム転換とケア労働」『思想』:955:216-36
永田久美子 2003 「痴呆ケアの歴史ーなじみの暮らしの中の作業の重要性」『作業療法ジャーナル』37(9):862-5
それはどうでもよい話。
この本の第3章 有限であるから控えることについてーその時代に起こったこと は、1980年代の日本の医療と福祉のながれのなかで、起こっているなにかについて書いたものだ。わたしはこの論考と対話しながら、1980年代を起点にして認知症ケアの実践の組み替えがおこわれつつあることについて考える。
1,新しい認知症ケアと言われるが
認知症ケアは、1990年代後半から現在にかけて劇的な転換期にあるといわれる。(井口 2007:31,春日 2003,永田 2003)呆けや痴呆といわれてきた状態やその状態にあるひとと、周囲のひと(家族や近所のひとや医療や福祉の専門職のひと)が思い、はたきかけてきた類型が劇的に変化をしてきたということだ。しかし類型というからには、十把一絡げにしたものだから、異なるようなはたらきかけもあったはずだ。まずなにが劇的に変化をしたのかということを聞こう。
井口は、「はたらきかけ」という言葉を使い、呆けゆく者や寝たきりの人に対する周囲からの世話や対応などの行為を示す探索的な概念として定義し、「はたらきかけ」は「はたらきかけ」の相手をどういう人なのかと認識するかにも相互に規定されるという。たしかにそのようにもいえる。
1)「はたらきかけ」られる者とかける者の関係と条件から生まれること
しかしもう少し具体的考えてみると、もう少し複雑になることあきらかだ。
たとえば、1)医療/福祉の専門職と、認知症患者/利用者では、「はたらきかけ」は治療や生活支援によってよりよくなることを目標とすることになる。もう少し目標をひかえ目にして、よりよい状態になることによって、他の方との関係もよくなり、結果しごと量も減って、私が楽になるというようなこともあるだろう。
2)家族と認知症状態にある人で生活時間のほとんどを一緒に過ごしている条件では、「はたらきかけ」は、生活行為のほとんどすべてであり、生活歴史のすべてを含む関係のあり方を含む過去と今後どうなっていくのかという未来の両方に規定されながら、どのように医学的診断がされているのかとか、どのような援助やサービスを使っているのかなどのたくさんのことの折り合いのなかで、「はたらきかけ」は異なっていく。
この2つは両極端の条件だろうが、「はたらきかけ」と「はたらきかけを試みられる存在」の類型的知識は、規定できるであろうか。井口がイメージしているのは、1)に関してはいえるだろうが、2)に関しては、それほど単純ではない。
井口のいう「はたらきかけ」の変遷とは、1)の前提とした変遷であること、つまり医療保健福祉の政策言説から抽出される「はたらきかけ」であると述べてもいる。
しかし、そのような政策言説としての「はたらきかけ」は2)のような条件にとっても無関係とはいえないと言う。認知症を抱える人と家族の会によって開催された国際会議(2004)が開催され、痴呆という侮蔑的な意味をもつ言葉で構成された言葉が、識者によって検討されて、認知症という言葉が公用語となったことなどによって、マスメディアによって取り上げられることにより、話題にあがるようになったことをあげている。
しかし2)の条件では、それほど単純ではない。いろいろな家族があり、いろいろなひとがいる。マスメディアの言説を信じつつも、自分の感覚や価値観はそう簡単には変えられないのが、普通なことだから。
そしてまた1)の条件でも同じようなことがおこる。政策としての法律の改正や制度の改正は事実であったとしても、その言説がそのまま「はたらきかけ」の実践に反映されることがないことがある。何年もかけて次第に変わっていくこともあろうし、またいつのまにか忘れ去れていくということもある。
2)「はたらきかけ」がいつの間にか変化する
たとえば、過去には「認知症ケアにおいて混合処遇か専用棟処遇のどちらが優れているか」という論争もあった。★要文献 しかし現在はそのような論点からの議論はおこなわれない。なぜなら、たとえば老人保健施設では認知症専用棟をつくることで、認知症ケア加算を得られるような介護報酬のしくみができたからだ。大きな集団で認知症のひとに「はたらきかける」にはどちらのケア体制が優れているという関心・観点よりも、認知症ケア加算を取るか取らないかという経営的な関心・観点が先にたってしまうからだ。結果的には、制度やしくみによって、「はたらきかけ」の関心・観点もかわるということだろう。政策として認知症や認知症高齢者をどのような存在として規定するかによって、「はたらきかけ」が変わることもあるが、政策が具体化されるしくみ(報酬・加算・減算のルール)によっても「はたらきかけ」は変わるような相互規定的なところもある。
3)政策として「はたらきかけ」を変えるには
「はたらきかけは、こうあられねばならない」という政策言説は制度というしくみ(報酬ルール)の上で行われる。制度としてのしくみは、「はたらきかけ」に対して報酬を支払うことでなりたっている。良い質の「はたらきかけ」を制度のしくみの上でうごかそうとするのなら、質をどう判定するのかという担保がなければ、報酬をだせないしくみが基本にある。
例えば、介護保険制度では、その担保の方法には、基準を決めることと、それに対する加算と減算のふたつの方法をしくみに組み込んでいる。たとえば運営基準や職員配置基準などの数で評価する方法が、その担保方法の一つ。また特別な研修や国家資格などの付加価値のある過程を通過した者が一定数以上いるという加算による質の担保方法が二つ目。また基準数よりも多い・少ないという条件での減算によって質を担保する方法が三つ目。
どちらにしても、「はたらきかけ」の質を報酬でしばろうとする方法だ。実際には「はたらきかけ」の質をあげるための加算を得るために、加算以上の業務量(記録帳票の類、研修出張の類など)がふえるとなれば、その新しい「はたらきかけ」は行わないということもあろう。
報酬でしばるだけでは、良いはずという「はたらきかけ」が広がらないならば、基準に組み込む方法もある。すると研修にでかけなければならない職員が増え、ただでさえ足りない人手が、その研修①のために、もっと足りなくなる。良いという「はたらきかけ」を行うという名分によって、その「はたらきかけ」をおこなうチームは消耗していってしまう。
とりあえず、チームは消耗しながらも、新しい認知症ケアの方法というものをある特定の職員が研修してきたとしよう。しかしそれが本当に実践できているかどうかは、今のところなんともいえない。
注釈
①認知症介護実践者研修は、講義・演習6日、さらに職場実習2週間という日程が一般的。この実践者研修の上段には、さらに長期間にわたる実践リーダー研修がおこなわれる。(講義・演習8日+他施設実習2週間+職場実習4週間)(東京都の例)
さらに実践リーダー研修終了者でかつ、各県・市・事業所の長による推薦をうけた者によって、認知症介護研究・研修センター(東京・仙台・太布)で認知症介護指導者研修(講義演習25日間+職場研修4週間)が行われている。
その他、認知症対応型サービス事業管理者研修(講義・演習2日間+他施設実習1日)や、認知症対応型サービス事業開設者研修(講義・演習2日間+他施設実習1日)が行われている。
文献
春日キスヨ 2003 「高齢者介護倫理のパラダイム転換とケア労働」『思想』:955:216-36
永田久美子 2003 「痴呆ケアの歴史ーなじみの暮らしの中の作業の重要性」『作業療法ジャーナル』37(9):862-5
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