認知症と認知症ケアの再構築への足がかり
老いて死を迎える前におこる「認知症」という状態について、私達の社会ではどのように向かい合ってきたのかの歴史的に大ざっぱにまとめてみた。一言でいえば、死に向かう老いの一過程といいう出来事から、アルツハイマー病という原因不明の病気の発見に始まり、高齢化に伴い、世界のどの国においても、認知症患者が急増し、診断技術や薬の「研究開発」、治療やケアの「高度化・標準化」が、グローバルな克服課題となってきた歴史だ。課題とか問題となる背景には、経済的損失という観点からからみた認知症問題が含まれていることにも注意したい。認知症という難病が人類の最大の敵であり、世界の国々の協力によって克服すべき最重要課題となった壮大な物語は、対テロ戦争を彷彿させる物語とどこか類似していないだろうか。
本章では、このような言説をふまえたうえで、それはそれとしてちょっと脇において、「認知症」と「認知症ケア」の周辺で起こっている出来事(現象)を丁寧に読み取ってみることによって、認知症と認知症ケアについての私達の常識になった知識を再構築してみたい。
1 老いゆく過程としての〈惚け〉の意味
〈惚け〉、〈惚けゆくもの〉の言葉の定義(鷲田)
(1)病気とともに生きるという選択の道(個体死・社会死という終結への意識)
最近の疫学的な調査によれば、長く生きれば生きるほど、認知症という病気の症状が現れやすくなり、85歳以上の高齢者のうち、およそ45%の方が認知症であるという。逆に見れば85歳以上の55%には、認知症の兆候はでていないということである。まずこのことについて考えてみたい。
高齢になるほど発症率が高くなる病気には、がんや感染症(肺炎)、糖尿病などの生活習慣が影響しているといわれる病気などがあげられるだろう。認知症も同じように老いて起こりやすくなるから、こられの病気とおなじように、たいがいの方の場合、老いの過程、死の目前になっておこる出来事(現象)である。現代では老いることの最終期に病気に罹り死ぬという、おおかたのひとの人生のプロセスであるから、認知症という状態に半数近くの方が遭遇するということである。そうなると、ひとの人生最後期の生き方死に方の質に大きく〈惚け〉という状態が影響していくということが言える。
致死の病気「がん」を生死する
数十年前までは、心臓病だとか脳出血、肺炎など、死因に直結するような病気が人生最後期の数日から数ヶ月という比較的短い時間の生活と生命の質に影響をあたえていた。また若い人にとっても、中高年にとっても、人生途上の流れを途絶えさせる「がん」がとても恐い病気だった。しかし最近では「がん」の治療は、患者が医療専門職とともに、年齢や体調や残された時間などの条件を熟考し、治療方法による生存率などのリスクも勘案したうえで、治療方法が選択され、治療がおこなわれる。もしくはなるべく今もつ身体の健康な機能にダメージを与えないような治療が選択され、積極的な延命治療を避け、「がん」とともに残された人生を生きるような援助も行われるようになってきた。
このような変化の背景には診断技術の進歩があり、治療薬や治療技術の進歩があることは間違いないだろう。あわせてセカンド・オピニオンによって、直接担当する医師や医療機関以外の専門的な知識を持った第三者に、意見を求めることも可能になったことも、影響しているものと思われる。
つまりおそろしい病気としての「がん」は、医学的にその正体が分かってきたことにより、対処の仕方もいろいろな選択ができるようになり、生命と残された時間、治療方法によるリスクなども考えながら「がん」という病気とともにと生きることができるようになったということだ。
ここで生きるとは、「がん」という病気に折り合いをつけながら、治癒することを目指すのではなく、残された生・時間の質を高めることを目指し、そして「死ぬ」ということである。ここに「死」がなければ、どんなに苦痛であっても、闘病という言葉があるように、病と闘うという姿勢が強調されるのだろう。
主体喪失の認知症を生/失する
前節では「がん」という病気とその帰結としての死が想定できる場合、残された生・時間の質を高めることを目指し、病気と折り合いをつけて残された生きるという生き方ができるようになったことを述べた。認知症にしても同様に、医学的な探求をすすめることは多いに必要だというのは誰にとっても異論はないだろう。認知症のひとやその家族の願いは新薬の開発に尽きる。
しかし新薬や完治可能な治療方法はまだ見つかっていない。たとえ認知症の原因となる一部の疾患に治療効果のある治療方法が見つかったとしても、「認知症状態」で生きる不安や苦労(病い)は、残るはずである。がんという病気がそうであるように。そうだとしたら、先に述べた致死の病気をいきる生き方(死に方)のように「認知症」という状態で生きるという選択の可能性はできないのだろうか。認知症という状態とともに生きるということは不可能なのだろうか。そう考えてみると、今までの認知症の人の生き方、死に方をもう一度丁寧に振り返る必要があるだろう。なぜ、今までの認知症ケアの実績をすべて悪とし、他国の理念や方法を持ち込もうとするのか、なぜ、今行われているケアを見つめないのか。疑問である。
とは言え、認知症という状態は短期間で死に至るようなものではない。古い言説では発症して5年程度で死に至るとされていたが、最近の言説では10年、いや長いひとは20年もの間、認知症という状態で生きるとされる。であるから、「がん」のように死と病気を隣り合わせで語ることができない。
認知症とともに生きると言ったら、そこには「当事者」の主体があり、認知症状態を引き起こす病気があるということである。病気と「ともに」生きる主体がなければ、「ともに生きる」ことはできないからである。
以前は認知症の人は何も分からないという前提で対処されてきた。(と信じられている)
最近、病識もしっかりとある若年性認知症や認知症初期の方が、病気の進行や今後介護をうけていく不安について考えを述べられるようになってきた。しかしそれは認知症かもしれないとおもう経験を重ね、認知症と診断をされ、告知をされる段階を経て、幸いにも、その段階で「意識主体」が残っているひとであり、かつそれだけの知的能力や表現力をもっている場合であろう。
その事実をもとに認知症の人には意思をもつものとしての主体(人間性)がしっかりとあり、その主体を損なわないようにするケアが重要なのだと主張されてきた。早期診断されたアルツハイマー病等の認知症状態の人は、自分の考えを述べたり、よりよいケアや適切な治療を要求する余裕を持っているとしても、症状が進行していく過程で「主体」はどのようになっていくのか?また人間の主体とは何か、人間性とは何かということが再び、問題となるのではないか。
表現をかえれば、記憶・思考・判断・注意の障害により社会生活や職業上の機能に支障をきたす状態になった場合に、「主体」「その人らしさがない」とどうして言えるのだろうか。またなぜ私は以前のその人らしさから、「記憶・思考・判断・注意の障害により呆けた」人に変わってしまう場合に、「人間性」を感じられないのだろうか。
人間性
注○ ブライデン・ボーデンさんの例、ほか日本において若年性認知症と開示した人達の例がある。(元東大教授・若井晋氏)
注○ http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/news7tx.html#2008
認知症における症状と癌の死の比較
家族にとっての解決は、症状を疾患として理解し、病気によっておこるのだと外在化する技法が強調されている。
本人にとっては?
同時に、この医療知識、技術を、どの程度なんのために、使うのか、使わないのかを判断する思考の原理が必要になってくるはずである。
先進的な治療行為(例えば空想的だが脳移植など)のリスクは何か、認知症と告知されることのリスクはなにか、人生の残された時間と天秤にかけて、治療やリハビリを目的とした「専門的・高度ケア」を受けるのかどうか、地縁や家族縁の濃淡さとケアの場の選択、かかる費用のこと、本人の意思表示できた頃の意思などが配慮され、対処されていくようになるのかも知れない。
(2)自然な老いとともに生きるという解釈の道
もう一つの側面は、ちょうど反対側からみえることである。55%のひとが認知症の症状がない状態で死亡されるということから広がる課題である。これは病気というものをどのように捉えるのかによって、起こっている病いという出来事に、異なる意味が生み出されることになる。
たとえば癌は前述したように、以前は正体不明な恐ろしい病気と思われていた。しかし最近では、癌とい疾患は何年も何十年もかけて、がん細胞が体内で免疫等の健康を維持するしくみの網をかいくぐり成長し、ある大きさ・広がりになってようやく、健康や生活を阻害する病いというものになるというように理解されるようになってきた。中毒とか感染症のように、短時間短期間のうちに体内に異物が入り込み、臓器や組織の機能を阻害するというような病気のメカニズムに加え、長い期間をかけて、病気と健康という状態が継続しつつ、いろいろな要因が影響しあい、病気という状態を引き起こすという病気のメカニズムも、ふつうに理解されるようになってきたということである。
同じようにアルツハイマー病も何十年もかけて、脳内の特定部位や全体に老人斑や神経原繊維変化が起こり続け、そのあいだにほかにも多様な要因が関係して、ようやくある年齢と条件のもとで、社会生活や職業能力に支障を生むような「認知症」が発症するという過程(プロセス)として理解できるのかもしれない。○注 つまり55%のひとは運良く「認知症」という状態から逃げおおせて死をむかえることができたひとであるとも言えるし、言いようでは、「認知症」という状態を迎える前に、他の病気につかまって死を迎えたともいえる。
この考え方の裏側には、「認知症=問題、またはできれば罹りたくない」ということが前提にすれば、「逃げおおせた」のであり、「認知症=自然な老いの過程」という見方をとれば、よく病気につかまらず、認知症にまでこぎ着けたねという理解になるだろう。
認知症を原因不明の病気ととらえ、それに対する恐怖で生きるのは、癌が恐ろしい病気であり、それでもうおしまいだと考えることと同じではないだろうか。認知症の混乱症状にのみ焦点をあて、それを起こさせないケアや環境を整えるというケアのねらいもまた、認知症という症状に価値と意義が見出せていないことを表してはいないか。
(3)〈惚け〉を生きるひとを理解することの可能性はあるか
*認知症当事者の語りの意味
ほほえみの種 第15号
「<亡くなる9日前>
~夜、訪室。ゼリーを食べた後~
職:「ねえちゃん、今って医者で死ぬのがいっぱいらよね。人はいつか死んでしまうんだよね」
婆:「そうらね」
職:「ねえちゃんはどこで死にたい?」「ここ?病院?」
婆:「病院もいいかもしんねけどね・・」
職:「ここらとみんないるし、医者が来てくれるし、看護士も飛んできてくれるよ」
婆:「そうらよね。ここらと飛んでくるよね。楽々死にたい」
職:「そうらね。楽々死ねるよね。まだねえちゃんは大丈夫だよ」
婆:「いや、だめら。年らっけ」
「おめさんといつまでもこうしていらんねんだっけね。別れんばだめなんだっけね」笑顔で話される。
〈老い〉ていくものと、後に続くものが暮らしのなかで、〈惚け〉という現象で、生きていくことにまつわりつく社会的な責任や役割などから離れていく、外していく、譲っていく過程でもあったのではないだろうか。その過程を迎えることができるということは、そこまで戦争や病気で死ぬことなく、生き抜いてきたという証なのだ。そして、生の最後の過程として、ひととして、親として、子供としての関係を、〈惚け〉という状態を生きることの間に、離れていく、外していく、譲っていく過程とみれば、生命というつながりの軌跡の最後の仕上げといえないだろうか。
なぜなら、「認知症」という状態は、病的というラインを引かなければ、中高年ならばだれもが経験する出来事でもある。突然、病気という症候がおこるのではなく、40代から、脳内ではすでに老人斑ができ、神経原繊維変化も起こっているという事実が、それを裏付けている。
成長とか上昇という志向を人生の価値が、自然の摂理のなかで反転していくこと、そのことが「認知症」という状態そのものの本質に含まれていないだろうか。獲得したもの、出来ることが、経験が、少しづつ、ゆっくりと自分の荷から降ろしていくこと(いやいやながら降ろされていくこと)の人生最後の仕上げ。もうこれでみんなとは一緒に居られないからねという挨拶代わりとしての出来事。
婆:「いや、だめら。年らっけ」
「おめさんといつまでもこうしていらんねんだっけね。別れんばだめなんだっけね」
そんなふうに、私達が「認知症」とか「呆け」とか「痴呆」とか、たいそうな名前をつけた老いの状態について読み取れないだろうか。
第2節 〈認知症の状態にある〉人と、暮らす(ケアする)人との間で起きていること
なぜ認知症の方のケアが難しいと感じるのだろう。認知症状態にある方と介護者/家族の難しい関係は、恋愛関係にある人達や夫婦間におこる愛憎の関係によく似ているようだ。よい関係が続いているならそれで良いし、認知症状態が、我慢したり言い合ったりするような状態も生み出すでしょう。こんな場合、なんらかの方法で折り合いがつくことで人間関係の問題が解決したり、また第三者が入ることによって安定した生活が送れるようになることもあります。または関係を断ち切られることによって、この泥沼のような関係が終わることもあります。どのような方法にせよ、認知症状態の人にも、介護者/家族にとっても関係をできる限り良くした方がいい。
そのためには何をどう解決すべきなのか。解決のためにどのような視点や考え方や態度が必要なのかというちょっとした知恵があれば、少しは良い関係が維持できていくことになるのではないか。「ほほえみの種」の4年間の記録を丁寧に拾い上げて、なんとか解決にいたる方法を探してみることからはじめよう。
(1)残酷な病気という思いはどこから生まれてくるのか
家族介護者ではない立場から
宮路は、認知症は残酷な病気だという。
「認知症という難病は、残酷です。会いたくて会いたくて、やっと会えた人と涙の抱擁をした直後に、その事を忘れてしまうのです。待ち望んだ子供の面会も数分後には忘れてしまうのです。こんなに見事に忘れてしまうなんて、きっと毎日が不安でいっぱいだと思います。見事に忘れてしまうけれども、会えた時の感激はきっと心になんらかの形で残っているはず。そして、忘れてしまった後の不安には、スタッフの『そばにいるよ』という優しさが必要となるのではないでしょうか。また、一緒に生活している婆様たちの『どうしたの?』という優しさ。お婆様たちが一緒に悩みながら、相談しあいながら、助け合いながら、生活していること・・。グループホームの醍醐味を感じ始めています。」
ひのくちの種 第3号
たしかに、認知症でないものからみれば、そうに違いない。そしてその〈残酷〉だという言葉には、その爺さま、婆さまがこれまでずっとかかわってきた家族や知人とのつながりが、ほんとうに強く望みながら、記憶としてつながっていかないことに対しての慟哭の感情が含まれている。かつ自分にも確実に起こりうる出来事であるという実感がくっついている。その哀しみとか、いたたまれなさとか、悔しさとかが、自分の身体が震えるような感覚で迫ってくる。その感覚が、悲しみとか、可哀そうという言葉よりも、もっと強く身体的な生臭い言葉である「残酷」ということばを使わせたのだと思う。
認知症を生きている爺様婆様とグループホームという疑似的家族生活を共にする介護職員は、老いて衰えていくことの時間の裂け目から、ひとの努力ではどうにも意のままにならない「不条理」を直接垣間見る。また長く生き抜いてきた爺様婆様たちの根っこである「強かさ」や「図太さ」を日々の暮らしのなかで感じ取っている。だからこそ、この爺様婆様たちの、この図太い強かさをもってしても、やっと会えた人との涙の抱擁や待ち望んだ子どもの面会も、ものの見事に忘れてしまう意のままならさに、〈残酷〉という言葉を使ったのだろう。この〈残酷〉さの影には、おなじようにひとにとって意のままにはならない〈死〉が潜んでいる。こんな〈残酷〉な老いも死もまた、だれにもいつかは訪れる自然な過程なのだ。自分にも確実におこりうる出来事としての老いと死の実感が、認知症をいきる爺様婆様を介して、介護者に伝わってくる。
(2)なぜ「私は誰?」と問うのか
家族介護者・家族としての立場から
「家族はなぜ、「〜を覚えている」と記憶テストをするのか」
家族としてのつながりが確認できるものはないかという希望
このような人格が変わった人の面倒をみなければならない自分の不幸の歎き
入所させてしまった不孝の思いに対する弁明
(3)何かができなくなること・わからなくなることに対面すること
認知症という状態にある人を、他者から見たとき、感じたときには、どのようなものなのだろうか。例えば服を着るとか、味噌汁の味付けをするとかが上手くできなくなることで、あれうちの婆ちゃんは「呆け」てきたのかな、「痴呆」になったの、「認知症」という病気に罹ったの?と疑うようなことが普通であろう。その状態が徐々におこり、それほど目立つことでなければ、「まあ、年取ったってことかね」と思うこともあろう。
このようにだれもが考える年相応という程度に入れば、それほどの問題にもならないことでもある。ここで原因不明の難病の症状の始まりだというような横やりの考えが、もしない社会であれば、このままゆっくりと往生されていくのかもしれない。
「〜ができることに価値を求める社会」だから認知症が見えなくなる
ここで、今のこの日本の社会で“年相応の何かのできなさ”という基準が存在するかどうかを考えてみたい。たとえば健康に関する検査値データと私達はどう向き合わせれているだろう。これ以上悪化した場合は病気であり(病気予備軍)であり、治療しましょうという文脈でしか向かい合えないことに気づく。これくらいなら年相応でしょうというような向かい方ではない。老眼にしても歯の欠損にしても、若々しい状態を基準に矯正し、年相応という基準は存在しないことがわかる。認知とか記憶においてもしかり、いかに人間の認知が高度であるかが科学的な文脈のなかで、まことしとやかに語られ、それを維持し強化することが人間の能力を存分に発揮するための必要条件なのだというように語られている。ここにも年相応に衰えていくという基準は存在しない。つまり私達の社会は「能力」やその能力を使ってなにかができることから得る「社会的価値(お金や名誉など」という物差しでしか、人間や自然を扱えなくなっている状態といえないだろうか。
わからなくなる・・ということ
夜。「あの・・あたし、どうしたのかしら?」
「今、夜中の2時だから、みんな寝てるんだよ。朝になったら起こすよ。それまで、寝ていて」何度も繰り返されるやりとり。
わからなくなることは、一体どんな世界なのでしょう?想像できないくらい不安な世界だということは、なんとなくわかる。しかし、私達は実感できない。
できるだけ具体的に、笑顔で、安心していただけるように伝えることしかできない。そっと肩に手を添える。「ここで寝ていると朝の6時に起こしてくれる・・」そういった具体的なイメージができると安心できるのではないか。
できなくなる・・ということ
今までできていたことが、できなくなる。
ほうれん草を洗って切る。その行為ができなくなる。
ほうれん草を洗ってまな板にのせても、次に切るという行動にいけず、また洗う。延々と繰り返す。「切るんだよ」と言われると辛い。自分でもどうしてよいかわからない所を指摘されると辛い。
何枚かのお皿に、同じ数だけおかずを盛ることができない。多いところ、少ないところ、何も盛ってないところ、その事実はなんとなくわかるんだけれど、どうしてよいかわからない。「ここにもう少し盛って」「ここに何も盛られていない」といったことを指摘されると辛い。わかっているけれど、どうしてよいかわからないだけだから。どんどん、わからなくなることの不安は私達には想像できないところである。不安を少なくしてあげること。それが、寄り添うことの意味と思う。 【18号】
老いていく
A様
高齢であるが、まだまだ手を引かれ歩いている婆様が、最近「難儀、難儀」と言う。歩くことが難儀くてたまらない様子である。でも、自分の足でトイレに向かう。そして「ど~してこんなになっちゃったんだろう?」とさめざめと泣く。
B様
一時期、介助がなければ、起立も歩行もできなくなった婆様が、見事に復活した。口癖は「若いもんきたかね?」・・若いもん(子どもさん達)にこんな姿は見せられない、若いもんに迷惑かけられない、そういった気持ちが婆様を見事に復活させた。
C様
ひのくちに入所された後、「次は何ができるようになるのだろう?」と、ぐんぐんと「できること」が増えていった婆様。その「すごく充実した日々」に残された体力を使いきったかのように、今、1日のほとんどを寝て過ごされている。これからは、いかに「安楽で気持ちの良い生活を送れるか」である。リビング隣で横になりながら、生活の音・みんなの声を聞き、「ご家族の中心で切り盛りしていた頃」を思い出していてもらいたい。 【28号】
「爺様婆様の外面と内面」
爺様婆様の一人ひとりにとって、この「出来なくなること、わからなくなっていくこと」への向き合い方、付き合い方が異なることがよく描かれている。歩けなくなっていく不甲斐なさ、迷惑をかけてしまう申し訳なさ、そして動けなくなった状態に身とこころを任せる経験。ここはどこなのか、なにをしたらよいのかわからないという不安。認知症と社会から呼ばれる衣のしたにある老いという生の姿が浮かびあがる。そしてその一人ひとりの老いに向かい合う経験が、他者との関係の文脈(コンテキスト)に合わせて、歎きや愛想のよい元気さとして表現がされている。いわば爺様婆様も、老い衰えていく経験に対して、社会で普通に生きてきた対処の仕方でもってやり繰りし、またやり繰りさえもできなくなっていく。
他人としての私達には到底分かるというものではないと実感する。老いに向かい合う経験を、安易に分かった、知ったと言わせないなにかがそこにある。それが分かった、理解できたと言った瞬間、老い衰えいきるそれぞれの苦労が一般化されてしまい、*言い回し工夫して*他人のそれになる。
*必要ないか*
宮路はこの感覚をつぎのように表現した。
「アセスメントって大切なのは、よくわかるのですが、それって、かかわりのはじめや、かかわりの中でのヒントになるけれど。出会ったときから、また新しい婆さんが生まれるように思います。それはちょうど私と婆さんの関係からまたちょっと違う婆さんが生まれるみたいな感じ。だから、アセスメントは大切なんだけれど、そこでストップしてはならないし、かわりゆく婆さんの生き方に添っていきます、という感じでしょうか。婆さん心とアキの空?ですね」
では介護はいったいどうあればよいのだろうか。それが介護する者にとっての日々、その時々の「問題」として家族や介護職員に立ち現れる。いわゆる「問題行動」とか「周辺症状」、最近では「認知症に伴う行動障害と精神症状(BPSD)」が強く現れている場合に、介護者や介護する家族に現れる「問題」にどう対処するのかという具合に立ち現れる。
ひのくちの職員はどうやって解決しているのだろう。
まず、これらの言動を含めて、一人ひとりの老いに向かい合う経験は、とうてい今の私達が理解できるものではないという前提にたつ。しかしそれでもできるだけ、「具体的に」「笑顔で」「そっと肩に手を添え」というように、その認知症という老いをいきる生命に近寄りすぎず、離れすぎず、いっしょにいて、悲喜交々のお世話を工夫をしていく。「それは本当に大変なことですよね。けれどねちょうどご飯が炊けたところですから、ご飯にしませんか」というように、普段の当たり前の生活感覚で応答していく。それは、爺様婆様の、認知症という老いをいきる生命に、腹ごしらえして、一緒に向かおうという姿勢だ。放り捨てずに、逃げずに、諦めずに、急がずに、白黒つけようとせずに、という一人の介護者としての関係を生きることだ。いや、放り投げられない、逃げられない、諦められない、急ぐことができない、白黒なんでつけられないところに誘いこまれていくような介護者としての関係といったほうがよい。
*木村敏「生命」引用 「生命を理解するには、生きるしかない」みたいな部分
*知識で理解というとき、そこにはコントロールできる、管理できるということが前提になる。(天田城介の引用)
よいケアのために正しい理解をするという、あとでじぶんが老いてはじめて、分かるのだと、理解するということを先送りすることでもある。理解するということは管理するということにつながることを、先に知っている
(4)病気としての認知症が強調されることの意味
認知症に限らず、身体やこころに病気をもちながら生きることを、例えば「心臓病とともに生きる」「うつ病をいきる」「病にいきる」というような表現がされることもある。
このような言葉がうまれるには「病気と、それをいきる私」という二分化された状態があることである。この「それをいきる私」は、ふらふらしていてはいけない。病気というもののために、私が弱々しいときがあっても、病気さえ治れば、また本来の強い私が取り戻せるのだということなのだろうか。「いきる」という言葉がなぜか「強さ」の宣言を含むように感じるのだ。病気の苦しみに弱気をはいてはいけない。弱気をはきたくなければ健康管理をし、病気にならないようにすべきだったのだ。自己責任なのだ。だから病気になったとしても、病気を克服して強くあれと、暗黙に管理していくことがおこっていることにならないだろうか。
認知症という状態にある人はどうなのだろう。最近は認知症は病気であるという側面が強く強調されてきた。「認知症とともに生きる」「認知症をいきる」「認知症にいきる」という言葉はまるで違和感なく、私達の耳に響く。じぶんが認知症だとカミングアウトした方や家族が英雄的にマスコミで取り扱われることも最近は多い。認知症が病気として強調されると同時に、認知症という病気に強く立ち向かうことが要請されることになった。早期に発見し対処しよう。認知症という病気(の症状)を回復させるようなよい環境を整えよう。健康管理とおなじ管理志向が、介護という方法で、環境や関係を管理として立ち現れている。
しかし認知症が病気だと強調され、認知症という病気の症状に対する正しいケアはこうだと論じられるほど、人は「健康」観念のパーツとしての「記憶」や「意思」への希求を強め、それらが壊れていくことへの不安をますます大きくしていく。老い衰えることの苦労までも病気を原因としておこる出来事とすることで、この苦労も分析装置や分析技術、医療器具や薬が開発されれば、解決できる「問題」にすり替わる。認知症という状態を引き起こす病気という一側面を強調することで、老い衰えていく苦労と対処する先人の智恵の歴史までも、ひとから奪い去ってしまう。老い衰えるという出来事は、誕生とおなじように、ひとにとってごく自然なできごとだった。どんな昔でも、ちゃんと誕生があり、老いはあり、病いはあり、死があったのだ。それがいつのまにか、今それらが「社会問題」なのだというふうに、まこと真実のように語られる。
*直し*
当然として考えること飼い慣らされ管理されてきているようにみえる。そこは成長神話一色の上げあげ社会でありながら、その光の影の部分は人工的な閉塞感で覆われてしまう。異常なほど健康を希求する人で満ちてきた社会にみるような人工的で冷たい閉塞感だ。耄碌・呆け・痴呆・認知症とどんなに名称を交換しても、そのたびごとにもっともらしい理屈をつけても、その向こう側には、同じ質の構造がみえかくれしてはいないだろうか。
(4)認知症と診断されることの意義
(4)認知症を告知することをめぐる課題
(5)認知症というできごとの構造
認知症の症状そのものが、他の病気とは一種異なる性質を持っていることに気づかないだろうか。たとえば癌の疼痛は、その人個人に直接かかわる痛みであり、その痛みは他者には直接には影響しない。しかし認知症の疼痛は端的にいえば〈わたし〉が失われていく痛みであると理解すると分かりやすい。ここで言う〈わたし〉とは、戸籍や学籍などで証明されるような客観的な私を言うのではない。血液型や各種検査データや身長や体重などをまとった身体としての私を言うのでもない。〈わたし〉が感じられる場面を想像してみると、実存という意味が実感できるだろう。〈わたし〉が感じられる瞬間には、必ずや〈他者〉がいる。それはひとでも動物でも、自然でも、作品でも、なにかの出来事でもよい。その瞬間でおこる現象をよく理解してみると、必ず〈わたし〉は〈他者〉にとっての〈他者〉として規定されていることがわかる。〈わたし〉というのは、〈他者〉にとっての〈他者〉という経験から生まれるものと理解してもよい。
認知症のA婆様の〈わたし〉が失われていく痛みは、他者である介護者Bさんにとってもまた、認知症という症状で苦しむ〈他者A婆様〉にとっての〈他者B〉としての〈わたし〉の迷い・痛み・どうしようもなさ等として、連綿と連なるような“できごと”をつくりあげていく構造をもっているのである。
第3章 認知症という老いを生きる親を介護すること (すき間のなさでおこること)
*他の文献からも、認知症という老いの過程について、どう考えているかを調べる
「親が子供になっていく」森久美子 佐賀新聞社
(母親と娘の関係という隙間のなさで起こること)
「わたくし、ぼけ老人代表です」敷島妙子著 風媒社
(好奇心という隙間をクッションにする)
「越後のBaちゃんベトナムへ行く」小松みゆき 2B企画
(異文化に接するように認知症に接する)
第4節 認知症という老いを生きる人を介護すること (間の間におこること)
(1)自然な老いを愛おしむ介護者
一生懸命引きずりまわされるというケアへ
爺様婆様が、惚け・痴呆・認知症という老い(以下からは《老い》と言おう)を生きるのを、介護者は昆虫の標本を見るようにして理解するのではなく、爺様婆様と近寄りすぎず、離れすぎず、1人ひとり、その場その場で、四苦八苦しながら世話という工夫をしていく術(すべ)を述べた。
言い換えれば、さしあたり《老い》の爺様婆様と同じくらい懸命に、アタフタしながら世話することがあたるのではないだろうか。迷いながら、こころ引き裂かれながら、後悔しながら、ときに喧嘩し、泣かされもする。そんな相い互いのお世話のしあいとも言えよう。ほほえみの種には、こんなアタフタ感が満ちている。
なんでだろうね?
婆様の行動は不思議である。スタッフは、婆様達の事について話していると「なんでだろうね?」という言葉に行き付く。・・・
スタッフ1『なんでだろう?』
スタッフ2『なんでだろうね?』答えは難しすぎる。
いろいろな仮定を挙げるが、答えはでない。
『そう簡単に、あたしの事がわかる訳ないでしょう~』と婆様は思っているに違いない。 【43号】
爺様婆様の言動は簡単には理解できないものが多い。教科書には「認知症の方の言動には必ず原因や背景がある」と書かれており、真実のようにも思われる。現に、夕方になると、爺様婆様がそれぞれ不穏になる。それを専門家は「たそがれ症候群」と言い、うつ症状であるとか、副甲状腺ホルモンが関わっているとか、二重三重にも症状論を重ね塗りして、複雑怪奇な原因が作り上げてきたし、これからももっといろいろな原因が作り続けられそうな気配がある。
しかし、ケアの場で爺様婆様に向かい合っていると、そんな複雑怪奇な原因よりも、ひょっとしたら、もっと人間くさい当たり前さがありそうに思うのだ。でも答えはでない。
「なんでだろう?」って考えることもしつつ、あまり深入りしない。なんだか自分達の暮らしでも同じだねと理解しつつ、それにもまた深入りしないバランスが求められそうだ。
一般化してしまうと安心してしまうし、なんだかコントロールできるように信じこむ、現代の日本社会の癖を見抜いておこう。徹底的にひとり一人の爺様婆様が老いに生きるそのとき、その場で、介護者も介護を生きるということが重要になるだろう。
次の「ひのくちの夕方」とタイトルがつけられた爺様婆様と職員のやりとりの場面を想像ほしい。理念だの、言葉使いだのと、よたよた考えていると、爺様婆様に置いていかれてしまうような場面だ。
ひのくちの夕方
夕方は、なにか心寂しくなるもの。
そこに、夕飯の準備が加わると、わさわさの空気・・がご利用者の心に伝わる。
爺「ねえちゃん、おめのおやじさんが死にそうだ・・」・涙・
職「大丈夫、元気になったて。心配すんなね」
婆「腹減った。はよ、まんま食わしてくれ」
職「あと15分でご飯が炊けるよ。待っててね」
婆「私、今日は泊っていっていいのかしら?」
職「は~い、布団用意してありますよ。一緒に寝ましょって」
婆「あんた、ちょっと。この大根どうやって切るの」
職「千本でお願いしま~す」
爺「じろ、じろ・・どこ行った?」
職「じろは散歩だよ~」
婆「腹が痛い。どうしましょ。」
職「よ~なれ、よ~なれ、腹ぽんぽん」
~気分転換にと風船バレーが始まる~
いろんな声が飛び交う夕方、どこの家もお腹の減る夕方は賑やかですよね。
ひのくちの夕方も・・賑やかです。 【11号】
このやりとりには、漫才の「ぼけとつっこみ」のような間髪言わせないリズムがある。職員はまさに口八丁手八丁のリズムで、集団たそがれ症候群の爺様婆様と向かい合う。まるでサンバのダンスを楽しむかのようなのりがある。
夕方になると、お腹がへる、暗くなり人恋しくなる、寝床としての巣に帰りたくなる。家族のなかで行われてきた授乳や子どもの世話、仕事道具の片付け、風呂沸かし、食事つくり、一緒に食べる、晩酌など、身体に刻まれた感覚が匂いや音や夕焼けや暗がりの色彩のうつろいから身体に浮かび上がってくる。感覚が記憶を浮かび上がらせてくる。エピソードがが思いだされるのではなく、感覚がうかびあがってくるのだ。感覚という記憶、記憶という感覚。ここには記憶を思い出そうとする〈わたし〉は介在しない。そういう感覚がグループホームの爺様婆様のなかで相互的に響き共鳴しあっている。これがいわゆる「たそがれ症候群」といえるのではないだろうか。
夕方の町並みの喧噪を思い返してみるとよい。家に急ぐ足音。夕食の食材を見定める客でごったがえすスーパーの喧噪。お腹がすいて夕食のおかずをつまみ食いする子供達。仕事を終えて焼き鳥やで一杯引っかけているサラリーマン。ひとくちの夕方とどこが異なるのだろう。
このやりとりには、記憶を思い出そうとする〈わたし〉も記憶を思い出せない記憶できない〈わたし〉も介在しない。あるのは、たそがれという劇場と、たくさんの身体によって起こっている感覚と、それらが相互のまじわって響きあっていることだ。
「ほほえみの種」には、このようなたくさんの〈劇場シーン〉が見出せる。たとえば「保育所の新入所時の母親状態」だ。重度の精神症状がでてしまう状態になった婆様を、精神科の病院に入院させたとき、心配で、「初めて保育所にこどもを預けた母親状態」になったときの場面だ。
A婆様の入院
A婆様が認知症の治療の為に入院した。
病棟の職員に帰るよう促された時、「あの、この方は歌が好きなんです。歌を歌ってあげてください」お願いした。もう、ほとんど『始めて保育所に子供を預けた母親状態』である。自分の子が心配で保育所のブロックの穴から様子を隠れてみている母親と同じ思いである。私が帰ったら、婆様を誰が寝かせてくれるんだろう?誰がご飯の席に座らせてあげるんだろう?と余計な心配があふれ出て、『保育所の新入所児の母親状態』となったわけである。専門医に預けたのだから、何の心配もいらないはずなのだが・・。 【27号】
はげしい精神症状でホームの設備を壊している様子を見て「もう壊さないで・・」と涙をながし、そして、同時に、この婆様こそ辛いのだと、慟哭する職員。《老い》の辛さを、職員も介護という関係で向かい合い、本気で、身をもって心配する(ケア)ことがおこっている。見ようによれば、アタフタしているし、迷いに迷っているし、《老い》の婆様に引きずり回されているといえるだろう。でもこれこそケアといえないのだろうか。私はこれこそがケアだと思う。
(2)ケアする人がケアされてしまうということ(なぜか愛おしい人たち)
《老い》の爺様婆様はとてもやさしい。もうやめてと涙するくらい辛い言動が介護者に襲いかかることもあるのだけれど、ほんとうに愛おしいという思いがわき上がることがある。介護という場でこの両極端な感覚がで介護者を翻弄する。その感覚は赤ちゃんの丸裸な無垢な身体のような肌ざわりがする。人がもつ社会性という対人関係をうまくやりとりするような装置がうまく作動しないことから、そう感じるのだろうか。この「なぜだか愛おしい」という感覚がわき上がる場面を「ひのくちケア」から探してみよう。
心と心の会話
婆様 「おや、おめさん。うちの○○によ~く似てなさる。」○○さんを思い出し「会いたいよ~」と泣かれる。
爺様 言葉は並べられないが、婆様のそばで婆様をなぐさめる形で、一緒に泣いていられる。
爺様の心と婆様の心の会話が、なんとも優しく、まわりのスタッフの涙を誘っていた。
ひのくちでは、私達からみると会話になっていないが、心と心の会話が繰り広げられている。思いを伝えたり、安心してもらったりする方法は言葉だけじゃないんだな、とひのくちの爺様や婆様から教わりました。 【10号】
スタッフ連絡ノートから
(認知症が重度のため、生活行為にほとんど介助を必要とされるA様)
夕方になると、『ご飯の用意しなきゃ』と思うんだよね。
みんなの為に、おいしいご飯の用意。何年も、何十年もやってきたんだよね。だから、台所に体が向くんだよね。夕飯の準備も終わりそうな頃、A様、流し台の所にこられました。危険なものはどけて、A様のやりたいようにやれたら・・と思い見守らせていただきました。
A様、洗い桶で米をとぐしぐさ、何度も何度も、とぎ 水を変える。米粒を流さないよう、気をつけて水を変える。体にしみついているしぐさ、優しいしぐさ。
見ていて涙が出そうになりました。A様の生きてきた歴史の重み、人生の重みを感じました。これからも、ゆったりと平穏に歩いていきましょう。そばにいさせてくださいね。
【14号】
愛しすぎる婆様達
~競馬の楽しみ方~
婆様『ほ~ら 走った走った。犬らか~?1・2・3.4・・いっぱいいるんだね~。
なに、逃げてるんだ~?』
職 『ほ~ら 抜いた抜いた・・』
婆様と見ると競馬中継も 楽しい。 【40号】
A婆様へ
8月 A婆様が亡くなった。およそ2ヶ月間婆様が死に向かうところに寄り添い、学ぶことが沢山あった看取りだった。
A婆様がまだまだお元気だった頃、A婆様の布団にもぐりこみ話した。
子供のなかった婆様だったので、ご兄弟が亡くなったとき
A婆『あんた 私は1人ぼっちになっちゃったから、あんたが あたしを最後まで面倒見てよ あたしの骨ひろってね』
職 『Aさんが死んだら どうすればいいの?』
A婆『骨にして 本家の墓にいれてよね』
職 『わかった』
そんな話をした。
食べることをしなくなり老衰と診断されたとき、またA様の布団にもぐりこみ話をした。
職 『Aさん ご飯食べないと死んじゃうよ』
A婆『あたしは、まだまだ死なないわよ~ だってまだ若いもの~』
職 『え~~何歳なの?』
A婆『60歳~』
もう これから A婆さんは弱っていくんだと思ったら、婆様の布団の中で泣いてしまった。婆さんは、『あんた 何 泣いてるの?』と一緒に泣いてくれた。 【42号】
2010年4月15日木曜日
〈認知症〉、〈認知症ケア〉 の一般言説
はじめに
最近、老いの経過としての耄碌・呆けと思われてきた認知症が病気のよる症状であることが一般に広く周知してきた。そのことにより、認知症を早期発見し適切な医療やケア環境を整えるべきことが課題にあてられ、国をあげての認知症の専門医療化・専門ケア化が始まったように見える。診断技術や薬の開発、ケア職員の高度な研修は行われはじめたけれども、認知症ケアを行うために、主に人手にかける財源(介護報酬)は減らされ続けてきたという矛盾もまた影に潜んでいる。いったい何が起こっているのだろう。本章ではこのような問いを立て、できるだけ簡潔に、「認知症とそのケア」についての歴史と、それにまつわる言説をまとめてみる。
1、耄碌、呆け、痴呆、認知症の歴史
(1)国際的な高齢化問題としての「認知症」
1980年代ころより高齢化の進んだ欧米で、Dimentia(認知症)の治療やケアについて社会問題とされはじめ、高齢化の進展とともに認知症患者は爆発的に増加していることが報告されている。たとえばアメリカでは、アルツハイマー病の症例は四半世紀で50万から一挙に10倍の500万への爆発的上昇を示している。
国際アルツハイマー病協会による世界アルツハイマーレポート2009年版によると、60歳以上人口における認知症の概算推定発症率は、2010年推定では世界平均で4.7%(西ヨーロッパ7.2%,南ラテンアメリカ7.0%、北アメリカ大陸6.9%、カリブ諸国6.5%、)に及んでいる。特に最近では低中所得国での認知症患者の急増が起こり始め、医療、保健、社会的介護制度の構築が重要な課題となっている。今後認知症患者数は、20年毎に倍増し、とりわけ低中所得国での患者数の急激な拡大がおきることが予測されている。
なぜこのような急激は増加が起きるのかについては、アルツハイマー病をはじめとする認知症に対する認識の問題がその根底にあると言われる。たとえば認知症は老化現象であるという考えとどうしようもないという迷信が、認知症の介護を困難にし、認知症患者と介護者を責め苦しめていると論じている。○注1
日本においても、この世界の流れのなかで、2005年開始された「認知症を知り地域をつくる10か年」の推進や2008年「認知症の医療と生活の質を高める緊急プロジェクト」などが進められようとしている。
○注2
注1)World Alzheimer Report http://www.alz.co.uk/research/worldreport/ ,(2010/02/05)
注2)厚生労働省報道発表資料 http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/07/h0710-1.html
(2010/02/05)
(2)「痴呆」から「認知症」へ
今では「認知症」の原因となる代表的な疾患とされるアルツハイマー病は、いまから110年ほど前、オーストリアの精神病理学者であったアロイス・アルツハイマーが、認知症の症状をもつ51歳のアウグステさんを診て、その症例を発表したことから、本格的な医学的探索が始まった。アルツハイマーは、褥瘡による敗血症で亡くなった彼女の脳組織を調べ、老人斑と神経原繊維変化を発見とその症例を学会に発表、翌年に論文として発表した。当時のヨーロッパ医学界の大御所であったクレペリンの書かれた教科書に取り上げられ、「アルツハイマー病」と名付けられたとされている。
日本では、明治41年(1908年)に西欧医学の学術用語を日本語に訳する際、当時の精神医学界の大御所である東大医学部精神科の呉秀三教授によって「痴呆」と訳出された。それ以降、語源に「痴=おろか、呆=あほう」の侮蔑的な意味を含む言葉が「学術用語」として、また法律上での「公用語」として、2005年に「認知症」と見直しされるまで、約100年間使われてきた。
(3)「痴呆」から「認知症」への名称変更と、認知症を取り巻く地域作りキャンペーン
「痴呆」という言葉は学術用語として使用されてきたが、市民の間では年をとって心身の働きがにぶくなり、老い耄れた状態になることを「耄碌(もうろく)」という言葉で言い表してきた。その後、1970年代(昭和45年)より高齢者在宅介護が社会問題化するようになり、1972年に出版されベストセラーとなった有吉佐和子の『恍惚の人』以降、「呆け・ぼけ」という卑語が、その糞便と悪臭にまみえた姿のスティグマ(負の意味のレッテル)として、市民の間で日常的に使われるようになった。
1973年の「老人医療費支給制度」が開始され、70歳以上(寝たきり等の場合65歳)の高齢者の自己負担の無料化がはじまり、その結果「病院の待合室のサロン化」「社会的入院」「薬漬け医療」助長の問題が指摘された。○平成12年厚生労働白書
その後10年間の老人医療費無料の時代を経て、1983年(昭和58年)に老人保健法が施行され、
増え続ける老人医療費を抑えるために、高齢者の医療費負担が再開された。その後は数年から1年おきの負担引き上げ、老人保健の対象年齢の引き上げなどの修正が行われてきた。
このような老人医療費の拡大問題への対応として、社会的入院の解消をはかり、在宅生活の継続とその介護の社会化をうたう介護保険制度が2000年から施行された。
さらに介護保険制度創設5年後の見直し規定(附則)をうけて、2006年4月から「食費の自己負担」「介護予防」を目的とする要介護者増加抑制のための介入(筋力トレーニング・栄養指導・口腔機能改善)「地域密着型サービス」として認知症ケアの地域化が行われた。
新しい医療・介護の制度として期待された介護保険制度であったが、3年毎の介護報酬の減額、市町村の介護保険料の増額、あわせて制度創設にあわせて参入した営利企業による不正請求や倒産、撤退が続いた。これらは過去10年間の老人医療保健制度の将来展望なき度重なる改悪を彷彿させる出来事であり、福祉人材の離職や若者の介護職離れを加速させていった。
これらの制度の揺れにあわせたかのように、2004年9月から「痴呆」から「認知症」への変更が行われ、2006年4月の介護保険法改正により、「痴呆」という言葉を、認知症と読み替えることが行われた。その法文による認知症の定義は、「脳血管疾患、アルツハイマー病その他の要因に基づく脳の器質的な変化により日常生活に支障が生じる程度にまで記憶機能及びその他の認知機能が低下した状態」とされた。
この「痴呆」から「認知症」への名称変更をジャンプ台として、厚生労働省は、2005年より「認知症を知り地域をつくる10か年」の推進や2008年には「認知症の医療と生活の質を高める緊急プロジェクト」などが進められてきた。結果、主に自治体(91%)において主催された講座によって、平成21年末までに147万人余りの認知症サポーターが養成されている。日本の人口の約1%にあたる数である。各県ごと、さらに市町村ごとに、平成21年12月31日現在のサポーター講座開催回数、認知症サポーター数の統計が取られている。まさしく県、市町村に国から達成目標が指示され、動員をかけて目標数値達成がおこなわれたというのが、本当のところではないだろうか。それにしても6時間のキャラバン・メイト養成研修受講者(受講要件には認知症ケアの在宅介護経験者や、医療保健福祉の専門家であるとはいえ)の講義によって行われる90分の認知症サポーター研修で認知症と認知症ケアの何が伝えられるのか。広範な人に認知症を理解してもらうという目的の重要性を認めながらも、半端な知識を地域に広めることによって、どのような影響が起こっていくのかを今後検証することが必要だろう。
たとえば、認知症に対する一般的な知識を得ることによって、いままでよりも認知症かもしれないと心配する人が増え、医療機関への受診者が増えていることが起こっている。○注3
たとえ早期受診によって、認知症の可能性が判定されたとしても具体的な医療・介護サービス資源情報へのアクセスへの遠近、また医療や介護を受ける場合の経済的負担の問題、地域における医療・介護サービス資源の供給量の地域差などの解決なしに、地域で支えるということには限界があるだろう。
また短時間で広範な人々に、認知症に関する知識を伝えようとするならば、それは標準的な知識にならざるをえず、認知症を生きる人それぞれの固有性に対しての弾力的なケアができなくなっていく可能性があるだろう。
○注1)全国から7人の認知症の本人が集まって、「本人会議」を行い、認知症・本人の思いとして「本人会議アピール文」を社会に発信したが、それが「認知症」の人の総意であるかのような取り扱い方をされていること、たとえば認知症の状態の方は、このように病識もあり、他者に自分の状態を伝えられる条件・環境にある人の7名の意見だけで言えるのかどうか。一人一人に聞く姿勢や方法や、また困難性などの実際の生活の場の個別な条件状況がまったく抜け落ちていく可能性がおこる。
○注2)クリスティーン・ブライデンさんの取り扱いに関しても同様。
(4)「認知症」の言葉のもつ相反する二つの性質
診断や療養の場で用いられる医学上の用語として「痴呆」という言葉の使われ方は、ひとつの診断名として使用されてきた歴史があった。医学用語として使用される場合は、原因疾患を付して「アルツハイマー痴呆」「脳血管性痴呆」というように使用された。専門用語の使われ方としては、痴呆という言葉のもつ侮蔑檄な意味合いを抜けば、特に問題はないといえる。
しかし「痴呆」という言葉のもつ日本語の意味は、「あほう・ばか」と通ずるものであり、侮蔑的な意味合いがふくまれており、今後、このような状態にある方が増える社会においては、いろいろな支障を生むことになると考えられて、名称を変更することになった。たとえばその支障のひとつには、この侮蔑的な意味を含む「痴呆」という言葉により、現在では認知症という病気の早期発見・早期診断等に支障が生まれているという判断である。
また「認知症」と語尾に病気の状態を示す「症」とつけたのは、「痴呆」の中には一部治癒若しくは症状が安定するものがある一方、他の多くの場合は進行性であり状態が固定していないためであるとされた。つまり「〜障害」のように変化がなく固定した状態とは異なり、その症状は「(良くも悪くも)変化する」という性質を表している。しかしその原因となる病態は非可逆的な疾患による症状の状態にのみ「認知症」として扱われてきた。たとえば、可逆的な疾患であるうつ病による仮性痴呆(仮性認知症)は、適切な治療を行うことによって治癒するのが定説であるので、うつ病が原因だと確定できる認知症様状態は「認知症」ではないことになる。また脱水などの体調不良によってもおこる「夜間せん妄」などの症状についても同様である。
もう一度「認知症」の定義を確認すれば、「認知症」は多様な原因で一定範囲の症状(記憶・思考・判断・注意の障害)が引き起こされ、そのことより社会生活や職業上の機能に支障をきたす状態・症状」の意味として使用される。たとえば「認知症高齢者」「認知症の評価尺度」などは、「認知症」という語を、認知症の状態という意味で使っている。また他には「認知症」を引き起こす症候群(疾患群)を表す使い方もされる。たとえば「脳血管性認知症」とか「レビー小体型認知症」のような疾患名としての使われ方である。
たとえば疾患名として扱う場合は、認知症の診断基準の客観性や科学的根拠の提示を求められ、早期診断を正確に行い適切な診療に結びつけるという一連のプロセスとして「(原因疾患名)認知症」が位置づけられ、今後ますます、原因疾患別の認知症発症機序の研究や、症状の治療に対する臨床研究および薬の開発などの基礎研究が進展していくことが確実である。
しかし、その定義のなかの「一定範囲の症状(記憶・思考・判断・注意の障害)が引き起こされ、そのことより社会生活や職業上の機能に支障をきたす状態・症状」というところに曖昧な(恣意的な)部分が残されていることにも注意をしたい。社会生活とは何を言うのか、電話の応答に支障をことなのか、認知症という病気の説明を受け正しく理解することに対する支障なのか、このように考えてみると社会生活という範囲や内容の幅はいくらでも広がりうる。また職業上の機能の支障でも、職業の種類や役職、年齢などによってもその機能は異なり、どの程度を支障というのかなど、曖昧さ(恣意性)を含むのである。この曖昧さは、このようにひとり一人の個別性によって生まれるものである。
*
しかし最近の認知症ケアキャンペーンにみられる主題は、「認知症の疾患モデル」を強く主張しつつ、個別性にかかわらず、ともかく認知症は病気として存在するのだから、多かれ少なかれ、認知症としての経過をたどることは確実だ。だからそれぞれの過程段階における、治療方針と標準的ケアのあり方をつくり、それにもとづき全国一律な医療と介護を行おうという目的がその背景にありそうだ。基本的には 医療診断モデル、看護診断モデルと同型のモデルが強調されていると言えよう。また、介護サービスに導入されようとしている標準ケアモデルの原型は、従来の「疾患モデル」と相対する「関係モデル」を基本にしており、その二つの「疾患モデル」と「関係モデル」をどうつなぎ合わせるのかが実践的な問題となるだろう。
最近、老いの経過としての耄碌・呆けと思われてきた認知症が病気のよる症状であることが一般に広く周知してきた。そのことにより、認知症を早期発見し適切な医療やケア環境を整えるべきことが課題にあてられ、国をあげての認知症の専門医療化・専門ケア化が始まったように見える。診断技術や薬の開発、ケア職員の高度な研修は行われはじめたけれども、認知症ケアを行うために、主に人手にかける財源(介護報酬)は減らされ続けてきたという矛盾もまた影に潜んでいる。いったい何が起こっているのだろう。本章ではこのような問いを立て、できるだけ簡潔に、「認知症とそのケア」についての歴史と、それにまつわる言説をまとめてみる。
1、耄碌、呆け、痴呆、認知症の歴史
(1)国際的な高齢化問題としての「認知症」
1980年代ころより高齢化の進んだ欧米で、Dimentia(認知症)の治療やケアについて社会問題とされはじめ、高齢化の進展とともに認知症患者は爆発的に増加していることが報告されている。たとえばアメリカでは、アルツハイマー病の症例は四半世紀で50万から一挙に10倍の500万への爆発的上昇を示している。
国際アルツハイマー病協会による世界アルツハイマーレポート2009年版によると、60歳以上人口における認知症の概算推定発症率は、2010年推定では世界平均で4.7%(西ヨーロッパ7.2%,南ラテンアメリカ7.0%、北アメリカ大陸6.9%、カリブ諸国6.5%、)に及んでいる。特に最近では低中所得国での認知症患者の急増が起こり始め、医療、保健、社会的介護制度の構築が重要な課題となっている。今後認知症患者数は、20年毎に倍増し、とりわけ低中所得国での患者数の急激な拡大がおきることが予測されている。
なぜこのような急激は増加が起きるのかについては、アルツハイマー病をはじめとする認知症に対する認識の問題がその根底にあると言われる。たとえば認知症は老化現象であるという考えとどうしようもないという迷信が、認知症の介護を困難にし、認知症患者と介護者を責め苦しめていると論じている。○注1
日本においても、この世界の流れのなかで、2005年開始された「認知症を知り地域をつくる10か年」の推進や2008年「認知症の医療と生活の質を高める緊急プロジェクト」などが進められようとしている。
○注2
注1)World Alzheimer Report http://www.alz.co.uk/research/worldreport/ ,(2010/02/05)
注2)厚生労働省報道発表資料 http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/07/h0710-1.html
(2010/02/05)
(2)「痴呆」から「認知症」へ
今では「認知症」の原因となる代表的な疾患とされるアルツハイマー病は、いまから110年ほど前、オーストリアの精神病理学者であったアロイス・アルツハイマーが、認知症の症状をもつ51歳のアウグステさんを診て、その症例を発表したことから、本格的な医学的探索が始まった。アルツハイマーは、褥瘡による敗血症で亡くなった彼女の脳組織を調べ、老人斑と神経原繊維変化を発見とその症例を学会に発表、翌年に論文として発表した。当時のヨーロッパ医学界の大御所であったクレペリンの書かれた教科書に取り上げられ、「アルツハイマー病」と名付けられたとされている。
日本では、明治41年(1908年)に西欧医学の学術用語を日本語に訳する際、当時の精神医学界の大御所である東大医学部精神科の呉秀三教授によって「痴呆」と訳出された。それ以降、語源に「痴=おろか、呆=あほう」の侮蔑的な意味を含む言葉が「学術用語」として、また法律上での「公用語」として、2005年に「認知症」と見直しされるまで、約100年間使われてきた。
(3)「痴呆」から「認知症」への名称変更と、認知症を取り巻く地域作りキャンペーン
「痴呆」という言葉は学術用語として使用されてきたが、市民の間では年をとって心身の働きがにぶくなり、老い耄れた状態になることを「耄碌(もうろく)」という言葉で言い表してきた。その後、1970年代(昭和45年)より高齢者在宅介護が社会問題化するようになり、1972年に出版されベストセラーとなった有吉佐和子の『恍惚の人』以降、「呆け・ぼけ」という卑語が、その糞便と悪臭にまみえた姿のスティグマ(負の意味のレッテル)として、市民の間で日常的に使われるようになった。
1973年の「老人医療費支給制度」が開始され、70歳以上(寝たきり等の場合65歳)の高齢者の自己負担の無料化がはじまり、その結果「病院の待合室のサロン化」「社会的入院」「薬漬け医療」助長の問題が指摘された。○平成12年厚生労働白書
その後10年間の老人医療費無料の時代を経て、1983年(昭和58年)に老人保健法が施行され、
増え続ける老人医療費を抑えるために、高齢者の医療費負担が再開された。その後は数年から1年おきの負担引き上げ、老人保健の対象年齢の引き上げなどの修正が行われてきた。
このような老人医療費の拡大問題への対応として、社会的入院の解消をはかり、在宅生活の継続とその介護の社会化をうたう介護保険制度が2000年から施行された。
さらに介護保険制度創設5年後の見直し規定(附則)をうけて、2006年4月から「食費の自己負担」「介護予防」を目的とする要介護者増加抑制のための介入(筋力トレーニング・栄養指導・口腔機能改善)「地域密着型サービス」として認知症ケアの地域化が行われた。
新しい医療・介護の制度として期待された介護保険制度であったが、3年毎の介護報酬の減額、市町村の介護保険料の増額、あわせて制度創設にあわせて参入した営利企業による不正請求や倒産、撤退が続いた。これらは過去10年間の老人医療保健制度の将来展望なき度重なる改悪を彷彿させる出来事であり、福祉人材の離職や若者の介護職離れを加速させていった。
これらの制度の揺れにあわせたかのように、2004年9月から「痴呆」から「認知症」への変更が行われ、2006年4月の介護保険法改正により、「痴呆」という言葉を、認知症と読み替えることが行われた。その法文による認知症の定義は、「脳血管疾患、アルツハイマー病その他の要因に基づく脳の器質的な変化により日常生活に支障が生じる程度にまで記憶機能及びその他の認知機能が低下した状態」とされた。
この「痴呆」から「認知症」への名称変更をジャンプ台として、厚生労働省は、2005年より「認知症を知り地域をつくる10か年」の推進や2008年には「認知症の医療と生活の質を高める緊急プロジェクト」などが進められてきた。結果、主に自治体(91%)において主催された講座によって、平成21年末までに147万人余りの認知症サポーターが養成されている。日本の人口の約1%にあたる数である。各県ごと、さらに市町村ごとに、平成21年12月31日現在のサポーター講座開催回数、認知症サポーター数の統計が取られている。まさしく県、市町村に国から達成目標が指示され、動員をかけて目標数値達成がおこなわれたというのが、本当のところではないだろうか。それにしても6時間のキャラバン・メイト養成研修受講者(受講要件には認知症ケアの在宅介護経験者や、医療保健福祉の専門家であるとはいえ)の講義によって行われる90分の認知症サポーター研修で認知症と認知症ケアの何が伝えられるのか。広範な人に認知症を理解してもらうという目的の重要性を認めながらも、半端な知識を地域に広めることによって、どのような影響が起こっていくのかを今後検証することが必要だろう。
たとえば、認知症に対する一般的な知識を得ることによって、いままでよりも認知症かもしれないと心配する人が増え、医療機関への受診者が増えていることが起こっている。○注3
たとえ早期受診によって、認知症の可能性が判定されたとしても具体的な医療・介護サービス資源情報へのアクセスへの遠近、また医療や介護を受ける場合の経済的負担の問題、地域における医療・介護サービス資源の供給量の地域差などの解決なしに、地域で支えるということには限界があるだろう。
また短時間で広範な人々に、認知症に関する知識を伝えようとするならば、それは標準的な知識にならざるをえず、認知症を生きる人それぞれの固有性に対しての弾力的なケアができなくなっていく可能性があるだろう。
○注1)全国から7人の認知症の本人が集まって、「本人会議」を行い、認知症・本人の思いとして「本人会議アピール文」を社会に発信したが、それが「認知症」の人の総意であるかのような取り扱い方をされていること、たとえば認知症の状態の方は、このように病識もあり、他者に自分の状態を伝えられる条件・環境にある人の7名の意見だけで言えるのかどうか。一人一人に聞く姿勢や方法や、また困難性などの実際の生活の場の個別な条件状況がまったく抜け落ちていく可能性がおこる。
○注2)クリスティーン・ブライデンさんの取り扱いに関しても同様。
(4)「認知症」の言葉のもつ相反する二つの性質
診断や療養の場で用いられる医学上の用語として「痴呆」という言葉の使われ方は、ひとつの診断名として使用されてきた歴史があった。医学用語として使用される場合は、原因疾患を付して「アルツハイマー痴呆」「脳血管性痴呆」というように使用された。専門用語の使われ方としては、痴呆という言葉のもつ侮蔑檄な意味合いを抜けば、特に問題はないといえる。
しかし「痴呆」という言葉のもつ日本語の意味は、「あほう・ばか」と通ずるものであり、侮蔑的な意味合いがふくまれており、今後、このような状態にある方が増える社会においては、いろいろな支障を生むことになると考えられて、名称を変更することになった。たとえばその支障のひとつには、この侮蔑的な意味を含む「痴呆」という言葉により、現在では認知症という病気の早期発見・早期診断等に支障が生まれているという判断である。
また「認知症」と語尾に病気の状態を示す「症」とつけたのは、「痴呆」の中には一部治癒若しくは症状が安定するものがある一方、他の多くの場合は進行性であり状態が固定していないためであるとされた。つまり「〜障害」のように変化がなく固定した状態とは異なり、その症状は「(良くも悪くも)変化する」という性質を表している。しかしその原因となる病態は非可逆的な疾患による症状の状態にのみ「認知症」として扱われてきた。たとえば、可逆的な疾患であるうつ病による仮性痴呆(仮性認知症)は、適切な治療を行うことによって治癒するのが定説であるので、うつ病が原因だと確定できる認知症様状態は「認知症」ではないことになる。また脱水などの体調不良によってもおこる「夜間せん妄」などの症状についても同様である。
もう一度「認知症」の定義を確認すれば、「認知症」は多様な原因で一定範囲の症状(記憶・思考・判断・注意の障害)が引き起こされ、そのことより社会生活や職業上の機能に支障をきたす状態・症状」の意味として使用される。たとえば「認知症高齢者」「認知症の評価尺度」などは、「認知症」という語を、認知症の状態という意味で使っている。また他には「認知症」を引き起こす症候群(疾患群)を表す使い方もされる。たとえば「脳血管性認知症」とか「レビー小体型認知症」のような疾患名としての使われ方である。
たとえば疾患名として扱う場合は、認知症の診断基準の客観性や科学的根拠の提示を求められ、早期診断を正確に行い適切な診療に結びつけるという一連のプロセスとして「(原因疾患名)認知症」が位置づけられ、今後ますます、原因疾患別の認知症発症機序の研究や、症状の治療に対する臨床研究および薬の開発などの基礎研究が進展していくことが確実である。
しかし、その定義のなかの「一定範囲の症状(記憶・思考・判断・注意の障害)が引き起こされ、そのことより社会生活や職業上の機能に支障をきたす状態・症状」というところに曖昧な(恣意的な)部分が残されていることにも注意をしたい。社会生活とは何を言うのか、電話の応答に支障をことなのか、認知症という病気の説明を受け正しく理解することに対する支障なのか、このように考えてみると社会生活という範囲や内容の幅はいくらでも広がりうる。また職業上の機能の支障でも、職業の種類や役職、年齢などによってもその機能は異なり、どの程度を支障というのかなど、曖昧さ(恣意性)を含むのである。この曖昧さは、このようにひとり一人の個別性によって生まれるものである。
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しかし最近の認知症ケアキャンペーンにみられる主題は、「認知症の疾患モデル」を強く主張しつつ、個別性にかかわらず、ともかく認知症は病気として存在するのだから、多かれ少なかれ、認知症としての経過をたどることは確実だ。だからそれぞれの過程段階における、治療方針と標準的ケアのあり方をつくり、それにもとづき全国一律な医療と介護を行おうという目的がその背景にありそうだ。基本的には 医療診断モデル、看護診断モデルと同型のモデルが強調されていると言えよう。また、介護サービスに導入されようとしている標準ケアモデルの原型は、従来の「疾患モデル」と相対する「関係モデル」を基本にしており、その二つの「疾患モデル」と「関係モデル」をどうつなぎ合わせるのかが実践的な問題となるだろう。
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